2011年07月06日
ショーン・ペン
第81回アカデミー賞授賞式で、2度目の主演男優賞に輝いたショーン・ペン。今やハリウッドを代表する名優の一人と誰もが認める存在ですが、若い頃は、暴力沙汰もしょっちゅうのゴシップキングだったのはご存じですか? しかし最近では、映画のみならず政治や社会貢献活動への積極的な取り組みでも注目を集めています。そんなよくも悪くもハリウッドの枠にはまらない男、ショーン・ペンにまつわるエピソードをご紹介します。
■両親とも業界人のプチセレブ家庭出身
娘を惨殺され復讐に燃える父親を演じた「ミスティック・リバー」、アメリカで初めて同性愛者であることを公にして公職に就いたハーヴェイ・ミルク役を演じた「ミルク」など、最近はシリアスでメッセージ性の強い作品に出演しているショーン・ペン。ハリウッドの大作路線とは一線を画す作品選びや役柄、それにちょっとワイルドなルックスも相まって、ショーン・ペンといえば、いわゆるハリウッドセレブとは異なる、コワモテでアウトローなイメージですよね。
ところが、意外なことにショーンはハリウッドの芸能ファミリー出身。父親はコロンボ・シリーズのなかでも名作と名高い「刑事コロンボ/別れのワイン」を演出した監督で、母親はアイリーン・ライアンという女優です。両親ともに超大物ではありませんが、ショーンはいわゆる二世俳優のひとり。しかも育ったのはビーチで有名なカリフォルニアのサンタモニカで10代はサーフィンに熱中していたそうです。海の似合うカリフォルニア・ボーイだったとは、今のショーンからは想像もつきません。
■過激! ショーン VS パパラッチ
高校卒業後、ショーンは演劇学校などで演技を学び、1981年に「タップス」で映画デビューを飾ります。その後、「初体験/リッジモント・ハイ」、「バッド・ボーイズ」などに出演。若手実力派俳優として注目を集めていきます。ちょうど同じ頃、ミュージック・シーンで大旋風を起こしていたのがマドンナ。2人の出会いはショーンが「マテリアル・ガール」の撮影現場を訪ねたことだったようです。そしてすぐに恋に落ち、婚約。ビッグカップルの誕生は、当然のことながら世界中の注目の的となり、彼らはパパラッチに付きまとわれるようになります。
ここでセレブの多くは、パパラッチの存在をある程度割り切り、トラブルを起こさないようにするもの。ところが、ショーンにはとてもガマンできないことだったようで、パパラッチと真っ向勝負。たびたび暴力沙汰を起こし、警察のご厄介にもなってしまいます。
そんな”武勇伝”の一部をご紹介すると、まずは1985年に行われたマドンナとの結婚式でのこと。非公開だったにもかかわらず、当日は100人以上のパパラッチがつめかけ、上空にはヘリも飛ぶという大騒ぎに。実は、非公開にしたのは、より注目を集めるためのマドンナの作戦だったらしいのですが、そんなこととは知らない新郎のショーンはヘリから撮影しようとしたパパラッチに対し発砲して応戦したとか。
「上海サプライズ」撮影中のマカオでは、ホテルの部屋に入りこんだパパラッチの足首をつかんで9階のバルコニーから吊り下げるという過激な行為に及び、殺人未遂容疑で逮捕されています。また、「カラーズ/天使の消えた街」の撮影では、断りなく彼の写真を撮ったエキストラを殴りつけ、周囲のスタッフに止められるといった騒動も。当時はまだインターネットやデジタルカメラが普及していない時代ですが、今だったら一体、どんな騒ぎになっていたでしょう? とにかくキレやすい性格であったことは確かです。
マドンナとの結婚生活も波乱含みで、1988年には、ショーンがマドンナに暴行を加えたとのニュースでメディアはまたまた大騒ぎに。結局、2人は1989年に離婚しました。当時のマドンナは世界的な大スターへと駆けのぼる最中でメディアへの露出も多かった時期。映画を作る以外の時間は静かな暮らしを望んでいたショーンとは、根本的に求めるものが違っていたのかも知れません。ともあれ、当時のショーンのイメージは「マドンナの暴力夫」という、お世辞にもよいとはいえないものでした。
■大統領に公開質問状!
その後、「ステート・オブ・グレース」で共演したロビン・ライトと交際開始したショーン。1991年に女の子、1993年に男の子が誕生し、私生活が安定したせいか以前のようなトラブルはぐっと影をひそめます。彼の情熱は仕事へと向けられ、1991年に脚本も手がけた初の監督作品「インディアン・ランナー」を発表。以来、「クロッシング・ガード」、「プレッジ」などで監督としてのキャリアを積み、2007年には製作、監督、脚本をつとめた「イントゥ・ザ・ワイルド」が話題になったのは記憶に新しいところです。
その一方で、政治や社会貢献活動にも乗り出します。なかでも最も注目を集めたのは、イラクに対して緊張感の高まるなか、2002年10月18日に米紙「ワシントン・ポスト」に掲載された意見広告ではないでしょうか。これは当時のジョージ・W・ブッシュ大統領宛の公開書簡の形式をとっており、このなかでショーンは、自分はブッシュ氏と同じ、父親でアメリカ人で愛国者だとした上で、善か悪かの単純で扇動的な考え方はしないと批判。暴力の連鎖をやめるよう訴えています。そして同年12月にはバグダッドを訪問。子ども病院の訪問や副大統領と対面といった活動を行いました。
その他にも、2005年にはイランを訪問し、その模様を米紙「サンフランシスコ・クロニクル」にレポート。2008年にはキューバのカストロ議長にインタビューを行っており、そのなかで、カストロ議長がオバマ次期大統領(当時)との会談に前向きな姿勢を示したことは大きな国際ニュースとなりました。また、2005年のハリケーン「カトリーナ」襲来で、ショーンは被災地ニュー・オーリンズへ飛び、自らレスキュー活動を行っているのです。
こうしたショーンの政治的、社会的な活動や興味の広がりは、「子どもが生まれたことで、次世代へ引き継ぐ世界に対する責任感が芽生えたから」(女優のスーザン・サランドン)と見る向きも。そんなショーンの社会派的な側面が知られるにつれ、「オール・ザ・キングスメン」や「ミルク」のような政治家を扱った作品に出演する機会も増え、さらに次回作として、ブッシュ政権を批判した元ガボン大使役がオファーされていると伝えられています。
ショーンが演じるとなれば、ぜひ、見てみたい、と思いますよね。彼のように、政治意識の高さを映画作りに生かし、しかも高い評価を受けている俳優は、今のハリウッドではあまり見あたりません。かつてパパラッチ相手に暴れていたエネルギーを、今は映画、政治、社会活動へと注いでいるハリウッドの暴れん坊、ショーン・ペン。彼の映画、そして生き方そのものに、これからも注目が集まりそうです。
【Profile】Sean Penn(ショーン・ペン) 1960年8月17日、アメリカ・カリフォルニア州生まれ。父親はテレビドラマ監督、母親は女優。テレビ映画、舞台を経て1981年「タップス」で映画デビュー。以来、40本近い作品に出演し、アカデミー賞主演男優賞に5回ノミネート、うち2回受賞している。俳優のほか、監督、脚本家としても活躍。1985年にマドンナと結婚するも1989年に離婚。女優のロビン・ライト・ペンと1996年に結婚。
(2009年4月28日 読売新聞)
■両親とも業界人のプチセレブ家庭出身
娘を惨殺され復讐に燃える父親を演じた「ミスティック・リバー」、アメリカで初めて同性愛者であることを公にして公職に就いたハーヴェイ・ミルク役を演じた「ミルク」など、最近はシリアスでメッセージ性の強い作品に出演しているショーン・ペン。ハリウッドの大作路線とは一線を画す作品選びや役柄、それにちょっとワイルドなルックスも相まって、ショーン・ペンといえば、いわゆるハリウッドセレブとは異なる、コワモテでアウトローなイメージですよね。
ところが、意外なことにショーンはハリウッドの芸能ファミリー出身。父親はコロンボ・シリーズのなかでも名作と名高い「刑事コロンボ/別れのワイン」を演出した監督で、母親はアイリーン・ライアンという女優です。両親ともに超大物ではありませんが、ショーンはいわゆる二世俳優のひとり。しかも育ったのはビーチで有名なカリフォルニアのサンタモニカで10代はサーフィンに熱中していたそうです。海の似合うカリフォルニア・ボーイだったとは、今のショーンからは想像もつきません。
■過激! ショーン VS パパラッチ
高校卒業後、ショーンは演劇学校などで演技を学び、1981年に「タップス」で映画デビューを飾ります。その後、「初体験/リッジモント・ハイ」、「バッド・ボーイズ」などに出演。若手実力派俳優として注目を集めていきます。ちょうど同じ頃、ミュージック・シーンで大旋風を起こしていたのがマドンナ。2人の出会いはショーンが「マテリアル・ガール」の撮影現場を訪ねたことだったようです。そしてすぐに恋に落ち、婚約。ビッグカップルの誕生は、当然のことながら世界中の注目の的となり、彼らはパパラッチに付きまとわれるようになります。
ここでセレブの多くは、パパラッチの存在をある程度割り切り、トラブルを起こさないようにするもの。ところが、ショーンにはとてもガマンできないことだったようで、パパラッチと真っ向勝負。たびたび暴力沙汰を起こし、警察のご厄介にもなってしまいます。
そんな”武勇伝”の一部をご紹介すると、まずは1985年に行われたマドンナとの結婚式でのこと。非公開だったにもかかわらず、当日は100人以上のパパラッチがつめかけ、上空にはヘリも飛ぶという大騒ぎに。実は、非公開にしたのは、より注目を集めるためのマドンナの作戦だったらしいのですが、そんなこととは知らない新郎のショーンはヘリから撮影しようとしたパパラッチに対し発砲して応戦したとか。
「上海サプライズ」撮影中のマカオでは、ホテルの部屋に入りこんだパパラッチの足首をつかんで9階のバルコニーから吊り下げるという過激な行為に及び、殺人未遂容疑で逮捕されています。また、「カラーズ/天使の消えた街」の撮影では、断りなく彼の写真を撮ったエキストラを殴りつけ、周囲のスタッフに止められるといった騒動も。当時はまだインターネットやデジタルカメラが普及していない時代ですが、今だったら一体、どんな騒ぎになっていたでしょう? とにかくキレやすい性格であったことは確かです。
マドンナとの結婚生活も波乱含みで、1988年には、ショーンがマドンナに暴行を加えたとのニュースでメディアはまたまた大騒ぎに。結局、2人は1989年に離婚しました。当時のマドンナは世界的な大スターへと駆けのぼる最中でメディアへの露出も多かった時期。映画を作る以外の時間は静かな暮らしを望んでいたショーンとは、根本的に求めるものが違っていたのかも知れません。ともあれ、当時のショーンのイメージは「マドンナの暴力夫」という、お世辞にもよいとはいえないものでした。
■大統領に公開質問状!
その後、「ステート・オブ・グレース」で共演したロビン・ライトと交際開始したショーン。1991年に女の子、1993年に男の子が誕生し、私生活が安定したせいか以前のようなトラブルはぐっと影をひそめます。彼の情熱は仕事へと向けられ、1991年に脚本も手がけた初の監督作品「インディアン・ランナー」を発表。以来、「クロッシング・ガード」、「プレッジ」などで監督としてのキャリアを積み、2007年には製作、監督、脚本をつとめた「イントゥ・ザ・ワイルド」が話題になったのは記憶に新しいところです。
その一方で、政治や社会貢献活動にも乗り出します。なかでも最も注目を集めたのは、イラクに対して緊張感の高まるなか、2002年10月18日に米紙「ワシントン・ポスト」に掲載された意見広告ではないでしょうか。これは当時のジョージ・W・ブッシュ大統領宛の公開書簡の形式をとっており、このなかでショーンは、自分はブッシュ氏と同じ、父親でアメリカ人で愛国者だとした上で、善か悪かの単純で扇動的な考え方はしないと批判。暴力の連鎖をやめるよう訴えています。そして同年12月にはバグダッドを訪問。子ども病院の訪問や副大統領と対面といった活動を行いました。
その他にも、2005年にはイランを訪問し、その模様を米紙「サンフランシスコ・クロニクル」にレポート。2008年にはキューバのカストロ議長にインタビューを行っており、そのなかで、カストロ議長がオバマ次期大統領(当時)との会談に前向きな姿勢を示したことは大きな国際ニュースとなりました。また、2005年のハリケーン「カトリーナ」襲来で、ショーンは被災地ニュー・オーリンズへ飛び、自らレスキュー活動を行っているのです。
こうしたショーンの政治的、社会的な活動や興味の広がりは、「子どもが生まれたことで、次世代へ引き継ぐ世界に対する責任感が芽生えたから」(女優のスーザン・サランドン)と見る向きも。そんなショーンの社会派的な側面が知られるにつれ、「オール・ザ・キングスメン」や「ミルク」のような政治家を扱った作品に出演する機会も増え、さらに次回作として、ブッシュ政権を批判した元ガボン大使役がオファーされていると伝えられています。
ショーンが演じるとなれば、ぜひ、見てみたい、と思いますよね。彼のように、政治意識の高さを映画作りに生かし、しかも高い評価を受けている俳優は、今のハリウッドではあまり見あたりません。かつてパパラッチ相手に暴れていたエネルギーを、今は映画、政治、社会活動へと注いでいるハリウッドの暴れん坊、ショーン・ペン。彼の映画、そして生き方そのものに、これからも注目が集まりそうです。
【Profile】Sean Penn(ショーン・ペン) 1960年8月17日、アメリカ・カリフォルニア州生まれ。父親はテレビドラマ監督、母親は女優。テレビ映画、舞台を経て1981年「タップス」で映画デビュー。以来、40本近い作品に出演し、アカデミー賞主演男優賞に5回ノミネート、うち2回受賞している。俳優のほか、監督、脚本家としても活躍。1985年にマドンナと結婚するも1989年に離婚。女優のロビン・ライト・ペンと1996年に結婚。
(2009年4月28日 読売新聞)
Posted byぷらっこat15:36
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